JR八鹿駅は近代化遺産
八鹿駅の跨線橋は大切な日本の近代化遺産です。
八鹿駅の改札口を入って上りのホームに向かう跨線橋の正面に二本の柱が立っています。
柱の根元に、ペンキが塗られていて分かりにくいのですが「明治四十」「鐵道新橋」の文字が見えます。
これは、明治40年に逓信省帝国鉄道庁新橋工場で制作したという意味です。
跨線橋を支える柱は、鋳鉄で作られています。形状は四角柱の柱の上に、先が細くなる円柱の柱をのせています。明治後半から大正期にかけて盛んになった洋風建築の技法です。
この跨線橋は、戦前に鉄材の拠出でなくなった八鹿駅に、養父郡14町村長が国鉄に陳情し、福知山駅から昭和30年1月1日に八鹿駅に移送されました。
この跨線橋は山陰線の起点を示すシンボルとして建設された日本国にとって貴重な跨線橋で日本でも3番目に古いものと言われています。(養父市まちの文化財から抜粋)
八鹿駅の駅舎は、1908年(明治41年)に建設され1934年(昭和9年)の改築で現在のような姿になりました。
玄関横には、八つの星をイメージした星形の窓が取付けてあります。